さても兵衛佐のありさまこそいたはしけれ。十二月廿八日の夜、父にも兄にも追をくれて、雪の中にたゞひとりさまよひ給ひけるが、小関のかたへゆきもせで、小平といふ山寺のふもとの里へまよひいで給ふ。あけぼのゝ事なるに、とある小屋に立より給へば、男のこゑして、「あはれ此山にも落人などやこもるらん、此雪にはいかでかはたらき給べき。一人なりともめし取て、六はらへまいらせたらば、勧賞にあづからぬことはよもあらじ。」といへば、こゝにあ(っ)てはあしかりなんと思ひ給て、足にまかせてぬけ給ふ程に、浅井の北の郡にやすらひ給けるを、老尼見付奉り、家に具して行ければ、老夫おなじくいたはりまいらせて、正月中はかくしをき侍りけり。 やうやく雪もきえしかば、又足にまかせて出給へるが、始の小平のあたりをとをり給けるが、人目をつつむ身なりしかば、道にもあらぬ谷川に付てたどり給ふ所に、或鵜飼見あひ奉り、思ひの外に情ありて、「人めをしのぶ御事にこそおはしませ、有のまゝに仰侯へ。いづくへも御志の所へをくり付まいらせん。」と申ければ、有のまゝにかた(っ)て、「あふはかへゆかばやとこそ思へ。」との給へば、「さては此御姿にては叶ひがたく候。」とて、女のかたちに出たゝせ奉り、もち給へる太刀をば、すげにてつゝみて我持て、男の、女を具したる体にて、あふはかへこそ下りけれ。大炊がもとへゆき給ひて、「頼朝なり。」との給へば、延寿もなのめならずよろこんで、夜叉御前の御方にをきまいらせて、様々にもてなし奉りけれども、東国へ御下あるべしとて、いそぎ出給ふが、髭切をば大炊にあづけをきてぞくだり給ふ。