平治物語 - 01 信頼・信西不快の事

 ひそかにおもんみれば、三皇五帝の国をおさめ、・四岳八元の民をなづる、皆是うつはものをみて官に任じ、身をかへりみて禄をうくるゆへなり。君、臣をえらんで官をさづけ、臣、をのれをはか(っ)て職をうくるときは、任をくはしうし成をせむること、労せずして化すといへり。かるがゆへに舟航のふね海をわたる、必ず 橈楫 だうしふ の功をかり、鴻鶴のつる雲をしのぐ、かならず羽翮の用による。帝王の国をおさむ、かならず匡弼のたすけによると云々。国の匡輔はかならず忠良をまつ。任使其人をうるときは、天下をのづからおさまると見えたり。 いにしへより今にいた(っ)て、王者の人臣を賞する、和漢両朝、おなじく文武二道をも(っ)て先とす。文をも(っ)ては万機の政をたすけ、武をも(っ)ては四夷の乱をしづむ。天下をたもち国土をおさむるはかりこと、文を左にし、武を右にすとみえたり。たとへば人の二の手のごとし。一もかけてはかなひがたし。一両端も(っ)てかなふとき、四海風波の恐なく、八荒民庶のうれへなし。夫澆季に及びては、人おご(っ)て朝威を蔑如し、民たけくして野心をさしはさむ。よく用意すべし。尤抽賞せらるべきは勇士也。されば唐の太宗文皇帝は、ひげをやきて功臣にたまひ、血をふくみかさを吃て戦士をなでしかば、心は恩のためにつかへ、命は義によ(っ)てかろかりければ、身をころさんことをいたまず、たゞ死をいたさんことをのみおもへりけりとなん。みづから手をおろし、われとよくたゝかはねども、人にこゝろざしをほどこせば、人皆帰しけり。又讒侫の徒は、国の蟲賊なり。栄花を旦夕にあらそひ、勢利を市朝にきほふ。その捏造のすがたをも(っ)て、忠賢の、をのがかみにある事をにくみ、其姦邪の心ざしをいだひて、富貴のわれさきたらざる事をうらむ。是みな愚者のならひ也。用捨すべきは此事なり。 ここに近来権中納言兼中宮権大夫・右衛門督藤原朝臣信頼卿といふ人ありき。人臣の祖、天津児屋根の尊の御苗裔、中関白道隆の八代の後胤、幡磨三位季隆の孫、伊与三位仲隆が子なり。しかれども、文にもあらず、武にもあらず、能もなく芸もなし。只朝恩にのみほこ(っ)て、昇進にかゝはらず。父祖は諸国の受領をのみへて、としたけよはひかたぶけて後、わづかに従三位までこそいたりしか。これは近衛司・蔵人頭・后の宮の宮つかさ・宰相中将・衛府督・検非違使別当、これらをわづかに二三ヶ年間にへのぼ(っ)て、歳廿七にして、中納言右衛門督に至れり。一の人の家嫡などこそ、かやうの昇進はし給に、凡人にをひては、いまだかくのごとくの例をきかず。又官途のみにあらず、奉禄も猶心のまゝ也。かくのみ過分なりしかども、猶不足して、家にたえてひさしき大臣の大将に望をかけて、凡おほけなきふるまひをのみしけり。されば見る人目をふさぎ、きく者耳をおどろかす。微子瑕にもすぎ、安禄山にもこえたり。余桃の罪をもおそれず、たゞ栄花の恩にぞほこりける。其頃、少納言入道信西といふ者あり。山井の三位永頼卿八代の後胤、越後守季綱が孫、鳥羽院御宇、進士蔵人実兼が子也。儒胤をうけて、儒業をつたへずといへども、諸道を兼学して諸事にくらからず、九流百家にいたる、常世無双の宏才博覧也。後白河上皇の御乳母、紀伊二位の夫たるによ(っ)て、保元々年よりこのかたは、天下大小事を心のまゝにとりおこな(う)て、絶たるあとをつぎ、すたれたる道をおこし、延久の例にまかせて、大内に記録所ををき、訴訟を評議し、理非を勘決す。聖断わたくしなか(っ)しかば、人のうらみものこらず。世を淳素に帰し、君を尭舜にいたし奉る。延喜・天暦の二朝にもはぢず、義懐・惟成が三年にもこえたり。大内は久しく修造せられざりしかば、殿舎傾危し、楼閣荒廃して、牛馬のまき、雉兎のふしどゝ成たりしを、一両年の中に造畢して、遷幸なし奉る。外郭を重ねた大極殿・豊楽院・諸司八省・大学寮・朝所にいたるまで、花のような垂木、雲のかた、大きな建物のかまへ・成風の功、としをへずして不日になりしか共、民のわづらひもなく、国のつゐへもなかりけり。内宴・相撲の節、久しく絶たる跡をおこし、詩歌管絃のあそび、おりにふれてあひもよほす。九重の儀式むかしをはぢず、万事の礼法ふるきがごとし。 去ぬる保元三年八月十一日、主上御位をすべらせ給て、御子の宮にゆづり申させ給へり。二条院これなり。しかれども、信西が権位もいよ<威をふるひて、飛鳥もおち、草木もなびくばかり也。又信頼卿の寵愛も、猶いやめづらかにして、かたをならぶる人もなし。されば両雄はかならずあらそふならひなるうへ、いかなる天魔が二人の心に入かはりけん、其中あしくして、事にふれて不快のよしきこえけり。信西は信頼を見て、何様にも此者天下をもあやふめ、国家をもみだらんずる仁よと思ひければ、いかにもしてうしなはゞやと思へども、当時無双の寵臣なるうへ、人の心もしりがたければ、うちとけて申あはすべき輩もなし、つゐであらばとためらひゐたり。信頼も又、何事も心のまゝなるに、此入道我をこばんで、うらみをむすばん者かれなるべしと思ひて(ん)げれば、いかなるはかりことをもめぐらして、うしなはんとぞたくみける。 或時信西にむか(っ)て、上皇仰なりけるは、「信頼が大将をのぞみ申はいかに。必しも重代清花の家にあらざれども、時によ(っ)てなさるゝ事もありけるとぞつたへきこしめす。」と仰られければ、信西、すは此世の中、いまはさてぞとなげかしくて申けるは、「信頼などが大将になりなば、たれかのぞみをかけ候はざらん。君の御政は、つかさめしをも(っ)てさきとす。叙位除目にひが事いできぬれば、かみ天のぎゞにそむき、しも人のそしりをうけて、世のみだるゝはしなり。其例漢家・本朝に磐多なり。さればにや、阿古丸大納言宗通卿を、白河院、大将になさんとおぼしめしたりしかども、寛治の聖主御ゆるされなかりき。故中御門藤中納言家成卿を、旧院、大納言になさばやと仰られしかども、諸大夫の大納言になる事は絶てひさしく候。中納言にいたり候だに、過分に候物をと、諸卿いさめ申されしかば、おぼしめしとまりぬ。せめての御心ざしにや、年の始の勅書の上書に、中御門新大納言殿へとぞあそばされたりける。是を拝見して、まことになされまいらせたるにも猶すぎたる面目かな、御心ざしのほどかたじけなしとて、老の涙をのごひかねけるとぞ承り候。いにしへは大納言猶も(っ)て君も執しおぼしめし、臣もゆるかせにせじとこそいさめ申しか。いはんや近衛の大将をや。三公には列すれども、大将をばへざる臣のみあり。執柄の息・英才の輩も、此職を先途とす。信頼などが身をも(っ)て大将をけがさ(ん)か、いよ<おごりをきはめて謀逆の臣となり、天のためにほろぼされ候はん事いかでか不便におぼしめされで候べき。」といさめ申けれども、げにもとおぼしめしたる御気色もなし。信西あまりの勿体なさに、唐の安禄山がおごれる昔を絵にかきて、巻物三巻を作りて、院へまいらせけれども、君はなをげにもと思食たる御事もなく、天気他にことなり。信頼卿は、通憲入道が散々に申ける事をもれ聞て、やすからぬ事におもひければ、つねに所労と号し、出仕もせず、伏見の源中納言師仲卿を相かたら(う)て、彼在所にこもりゐて、馬にのり、はせひき、早足、ちからもちなど、ひとへに武芸をぞ稽古せられける。是しかしながら、信西をうしなはんため也。