平治物語 - 22 義朝青墓に落ち著く事

 さるほどに、左馬頭は堅田の浦へうち出て、義隆の頸を見給ふ。「八幡殿の御子の名残には、此人ばかりこそおはしつるに、をくれ奉(っ)ては、いよ<力なくこそおぼゆれ。」とて、なく<念仏申とぶらひて、みづうみへ馬の太腹ひたるまで打入、此首をふかくしづめられけり。やがて舟を尋てわたらんとせられけれ共、おりふし浪風はげしくしてかなはざりしかば、それより引かへし、勢多をさしておちられけるが、「此勢一所にてはかなふまじ、道をかへておつべし。志あらば東国にて必参会すべし。いとまとらする。兵ども。」との給へば、各、「いづくまでも御供つかま(っっ)てこそ、何共成候はめ。」と申せども、「存ずる旨あり。とく<。」との給へば、力及ばずして、波多野次郎義通・三浦荒次郎義澄・斉藤別当・岡部六弥太・猪俣小平六・熊谷次郎・平山武者所・足立右馬允・金子十郎・上総介八郎を始として、廿余人いとま給はり、思ひ<に国々へ下りけり。 義朝の一所におちられけるは、嫡子悪源太義平・次男中宮大夫進朝長・三男右兵衛佐頼朝・佐渡式部大夫重成・平賀四郎義宣・義朝乳母子鎌田兵衛政家・金王丸、わづかに八騎なり。兵衛佐頼朝、心はたけしといへども、今年十三、物具して終日の軍につかれ給ければ、馬眠をし、野路の遽よりうちをくれ給へり。頭殿、篠原堤まて、「若者どもはさがりぬるか。」とのたまへば、各、「これに候。」とこたへられしに、兵衛佐おはしまさず。義朝、「むざんやな。さがりにけり。若敵にやいけどらるらん。」との給へば、鎌田、「尋まいらせ候はん。」とて引返し、「佐殿やまします。」とよばゝり奉れども、さらにこたふる人もなし。 頼朝やゝあ(っ)てうちおどろき見給ふに、前後に人もなかりけり。十二月廿七日の夜深方の事なれば、くらさはくらし、さきも見えねども、馬にまかせてたゞ一騎心ぼそく落給ふ。森山の宿にいり給へば、宿の者どもいひけるは、「今夜馬の足音しげくきこゆるは、落人にやあるらん、いざとゞめん。」とて、沙汰人あまた出ける中に、源内兵衛眞弘といふ者、腹巻取(っ)て打かけ、長太刀も(っ)てはしり出けるが、佐殿を見付奉り、馬の口にとりつき、「おちうどをばとゞめ申せと、六はらより仰下され候。」とて、すでにいだきおろし奉らんとしければ、髭切をも(っ)て、ぬきうちにしとゝうたれければ、眞弘がまつかう二に打わられて、のけにたふれて死にけり。つゞひて出ける男、「しれ者かな。」とて、馬の口に取付所を、同様にきり給へば、籠手の手覆よりうで打おとされてのきにけり。其後近付者もなければ、則宿をはせ過て、野州河原へ出給へば、政家にこそあひ給へ。それよりうちつれいそぎ給へば、程なく頭殿に追つき奉り給ふ。「など今までさがるぞ。」とのたまへば、しか<”のよし申されければ、「たとひおとななりとも、いかでか只今かうはふるまふべき。いしうしたり。」とぞ感じ給ふ。鏡の宿をもすぎしかば、不破の関は敵かためたりとて、小関にかゝ(っ)て、小野の宿より海道をば妻手になして落給へば、雪は次第にふかくなる、馬にかなはねば、物具しては中々あしかりなんとて、みな鎧共をぬぎ捨らる。佐殿は馬上にてこそおとり給はね共、かち立に成てはつねにさがり給ひしが、つゐに追をくれまいらせられけり。 義朝はとかくして、美濃国青墓の宿につき給ふ。彼宿の長者大炊がむすめ、延寿と申は、頭殿御志あさからずして、女子一人おはしけり。夜叉御前とて十歳になり給ふ。年来の御宿なれば、それに入給へば、なのめならずもてなし奉る。 義朝こゝにての給ひけるは、「義平は山道をせめてのぼれ。朝長は信州へ下り、甲斐・信濃の源氏どもをもよほして上洛せよ。われは海道をせめのぼるべし。」と有しかば、悪源太、「さ、うけ給はる。」とて、未しらぬ飛騨の国のかたへ、山の根に付ておちゆかれければ、中宮大夫は、信濃をさして下り給ふが、龍下にて手は負給ふ、伊吹のすその雪はしのがれたり、疵大事に成て、かなひがたかりしかば、かへりまいられけり。頭殿、此由をきゝ給ひて、「あわれ、おさなく共頼朝はかうはあらじ。」とぞのたまひける。「さらば汝しばらくとゞまれ。」ときこゆれば、朝長畏(っ)て、「これに候はゞ、定て敵にいけどられ候なん。御手にかけさせ給て、心やすくおぼしめされ候へ。」と申されしかば、「汝は不覚の者と思たれば、誠に義朝が子なりけり。さらば念仏申せ。」とて太刀をぬき、すでに首をうたんとし給ひしを、延寿・大炊、太刀にとり付て、「いかに目の前にうきめを見せさせ給ふぞ。」とて、なきくどけば、「あまりにをくれたれば、いさむる也。」とて、太刀をさゝれぬ。朝長帳台へ入給へば、女も内へぞ帰りける。其後、「大夫はいかに。」との給へば、「待申候。」とて、掌をあはせ念仏し給へば、心もとを三刀さして首をかき、むくろにさしつぎ、衣引かけてをき給ふ。都にて江口腹の御むすめ、鎌田に仰て害せらる。頼朝はみえ給はず、朝長をもわが手にかけてうしなひ給へば、一方ならぬかなしさに、さすが涙もせきあへず。