平治物語 - 20 官軍除目行はるる事付けたり謀叛入賞職を止めらるる事

 伏見源中納言師仲は、「勧賞をかうぶるべき身にてこそ侯へ。信頼卿内侍所を取(っ)て、東国へ下しまいらせんとせられ候しを、女、坊門局の宿所、姉小路東洞院にかくしをきまいらせて候へば、朝敵にくみせざる支証分明に候。但信頼、時時伏見へ来りしも権勢におそれて、心ならぬまじはりにて候き。叛逆のくはたてにをひては、かつて存ぜず。よく<きこしめしひらかるべし。」と陳じ申されけり。河内守季実、其子左衛門尉季守は、のがるゝ所なくして、父子ともに誅せらる。 やがて叙位除目おこなはれて、大弐清盛は正三位に叙し、嫡子左衛門佐は伊与守に任じ、次男大夫判官基盛は大和守、三男宗盛は遠江守になる。清盛舎弟三河守頼盛は尾張守になる。伊藤武者景綱は伊勢守に補す。上卿は花山院大納言忠雅卿、職事は蔵人朝方とぞきこえし。 信頼卿の舎兄兵部権大輔基家・民部権少輔基通・舎弟尾張守少将信俊・子息新侍従信親・幡磨守義朝・中宮大夫進朝長・兵衛佐頼朝・佐渡式部大夫重成・但馬守有房・鎌田兵衛政家已下、七十三人の官職をとゞめらる。此内両人やがて尋出されて、民部権少輔基通は陸奥の国へ、尾張少将信俊は越後国へぞながされける。其外或は誅せらるゝ者、後日にもおほかりけり。 昨日まで朝恩にほこ(っ)て、余薫一門に及びしかども、今日は誅戮をかうぶ(っ)て、愁歎を九族にほどこす。朝につかへて、楽を春花の前にひらき、いましめをかうぶ(っ)ては、なげきを秋の霜のもとにあらはす。夢の富は、おぼえてのかなしみ也。一夜の月はやく有漏不定の雲にかくれ、朝の咲は暮の涙なり。片時のはな、むなしく無常転変の風に随ふ。盛衰のことはり、眼の前にあり。生界の中に、誰人か此難をのがるべき。さても堀川天皇嘉承二年に、対馬守源義親誅伐せられしよりこのかた、近衛院の御代、久寿二年にいたるまで、すでに卅余年、天下風静にして、民、唐尭・虞舜の仁恵にほこり、海内なみおさま(っ)て、国、延喜・天暦の徳政をたのしみしに、保元に合戦あ(っ)て、洛中はじめてさはぎしをこそ、あさましき事と思ひしに、いくほどの年月をもをくらざるに、又此みだれ出来て、人おほくほろびしかば、世すでに末に成(っ)て、国ほろぶべき時節にやあるらんと、心ある人はなげきあへり。同廿九日公卿僉議あ(っ)て、此ほど大内に兇徒殿舎に宿して、狼籍繁多也。きよめられずして、還幸ならん事然るべからざるよし、議定ありき。