平治物語 - 13 主上六波羅へ行幸の事

 主上は北の陣に御車をたてゝ、女房のかざりをめして、御かづらを奉る。同じく御宝物どもわたし奉らんとて、内侍所の御唐櫃も、大床迄出したりけるを、鎌田が郎等怪しめ奉て、とゞめまいらせけるを、伏見源中納言師仲卿に申あはせて、まづ坊門の局の坊城の宿所へぞうつし奉りける。中宮も主上と一御車にぞめされける。別当惟方・新大納言経宗、なをしに柏はさみして供奉し、藻壁門より行幸なし奉れば、此門をば金子・平山かためたり。家忠、「いかなる御車ぞ。」と申せば、別当、「上臈女房たちの出させ給ふなり。惟方があるぞ。別の子細あるまじ。」との給へ共、金子なをあやしみて、弓のはずにてすだれかきあげ、松明ふり入て見奉れば、二条院御在位のはじめ、御歳十七に成給ふうへ、龍顔もとよりうつくしくおはしますに、はなやかなる御衣はめされたり、まことにみめもまよふ計の女房にみえさせ給。中宮はおはします、いかでか見とがめ奉らむ。ゆへなくとをしまいらせけり。清盛の郎等、伊藤武者景綱、黒糸おどしの腹巻の上に、小張きて雑色になる。舘の太郎貞康は、黒革の腹巻のうへに、牛飼の装束して御車をつかまつる。 上東門をからりとやりいだす程こそあれ、土御門をとぶがごとくに行幸成。左衛門佐重盛・三河守頼盛・常陸守経盛、三百余騎にて、土御門東洞院にまちうけ奉り、御車の前後を守護して、六波羅へこそ入奉りけれ。事ゆへなく行幸なりてければ、平家の人々、いさみよろこぶ事かぎりなし。やがて蔵人右少弁成頼をも(っ)て、「六波羅を皇居となされたり。朝敵ならじと思はん輩は、いそぎはせ参ぜられよ。」とふれられければ、大殿・関白殿・太政大臣・左大臣・内大臣以下、公卿殿上人、われも<とまいられけり。内裏へと心ざして、はせまいる兵ども、此由をきゝて、我さきにといそぎまいりければ、六はらの門前には、馬車のたち所もなくせきあひたるに、色節の下部に、よろふたる兵あひまじは(っ)て、雲霞のごとくに河原おもてまでみち<たり。清盛はこれをみて、家門の繁昌弓箭の面目とよろこび給へば、信頼卿は夢にもしらず。