平治物語 - 11 信西の子息遠流に宥めらるる事

 明れば廿日、殿上にて公卿僉議あるべしとて、大殿・関白・太政大臣師賢・左大臣伊通公已下、各参内し給へり。是は少納言入道の子息、僧俗十二人の罪、各定申されんためなり。左大臣伊通公のなだめ申されけるによ(っ)て、死罪一等を減じて、遠流に処せらる。俗は位記をとゞめられ、僧は度縁を取て還俗せさせらる。 まづ新宰相俊憲は出雲国、幡磨中将成憲は下野国、右中弁貞憲隠岐国、美濃少将長憲阿波国、信濃守惟憲は安房国、法眼浄憲は丹波国、法橋寛敏は上総国、大法師勝憲は安芸国、澄憲は信濃国、憲耀は陸奥国、覚憲は伊与国、明遍は越後国とぞ定られける。 彼俊憲は、鳥羽院より、春生二青花中一と云勅題を賜は(っ)て、「悲二清濁を一駒は、嘶二十年の風に一、香れる上林の花、鳳成二肝心露一。」とかゝれたる手跡又妙にして、澆季に是をつたへけり。澄憲の説法には、龍神も感に乗じ、甘露の雨をふらし、明遍の菩提心をいのりし夢のまくらには、宝蓮華下てうつゝにあり。すべて此一門にむすぼらるゝ人は、あやしの女房にいたるまで、才智人にこえたり。