平治物語 - 04 信西の子息闕官の事付けたり除目の事並びに悪源太上洛の事

 少納言入道信西が子息五人闕官せらる。嫡子新宰相俊憲・次男幡磨中将成憲・権右中弁貞憲・美濃少将長憲・信濃守雅憲也。上卿は花山院大納言忠雅、職事は蔵人右中弁成頼とぞきこえし。さる程に、太政大臣・左右の大臣・内大臣已下、公卿参内し給ひしかば、僉議あ(っ)て、信西が子ども尋らるゝに、幡磨中将成憲は、太宰大弐清盛のむこなれば、もしや命たすかるとて、六波羅へおちられたりけるを、宣旨とて、内裏よりしきなみにめされければ、力及ばでいでられけり。博士判官坂上兼成行むかひ、成憲をうけ取(っ)て、内裏へまいりければ、尋ぬべき子細ありとて、兼成にあづけをかる。権右中弁貞憲は、もとゞりきり、法師にな(っ)て、かたはらにしのびたりけるを、宗判官信澄、たづねいだして、別当に申たりしかば、これも信澄にあづけられけり。 やがて除目おこなはる。信頼卿は、もとよりのぞみを懸たりしかば、大臣大将をかねたりき。左馬頭義朝は、幡磨国をたまは(っ)て幡磨守になる。佐渡式部大夫は信濃守になる。多田蔵人大夫源頼範は摂津守になる。源兼経は左衛門尉に成。康忠は右衛門尉になる。足立四郎遠基は右馬允に成。鎌田次郎政清は兵衛尉に成て、政家と改名す。今度の合戦にうちかちなば、上総国を給べき由のたまひけり。 爰に義朝が嫡子、鎌倉悪源太義平、母方の祖父三浦介がもとにありけるが、都にさはぐ事ありときゝて、鞭をう(っ)てはせのぼりけるが、今度の除目にまいりあふ。信頼大によろこびて、「義平此除目にまいりあふこそ幸なれ。大国か小国か、官も加階も思ひのごとく進むべし。合戦も又よくつかまつれ。」と宣へば、義平申けるは、「保元に伯父鎮西八郎為朝を、宇治殿の御前にて蔵人になされければ、急々なる除目かなと、辞し申けるはことはりかな。義平に勢を給候へ。阿辺野辺にかけむかひ、清盛が下向をまたん程に、浄衣ばかりにてのぼらん所を、眞中にとりこめて一度にうつべし。もし命をたすからんと思はゞ、山林へぞにげこもり候はむずらん。しからば追(っ)つめ<とらへて、首をはね獄門にかけて、其後信西をほろぼし、世もしづまりてこそ、大国も小国も官も加階もすゝみ侍らめ。みえたる事もなきに、かねてなりて何かし候べき。たゞ義平は東国にて兵どもによび付られて候へば、もとの悪源太にて候はん。」とぞ申ける。信頼、「義平が申状荒議也。そのうへ阿辺野まで馬のあしつからかして何かせん。都へいれて、中に取こめうたんずるに、程やあるべき。」とのたまひければ、みな此義にしたがはれけり。ひとへに運のつきけるゆへにこそ。 大宮太政大臣伊通公、其比は左大将にておはしけるが、才学優長にして、御前にても、つねにおかしき事を申されければ、君も臣も大きにわらはせ給ひ、御あそびも興をもよほしけり。「内裏にこそ武士どもしいだしたることはなけれ共、思ひのごとく官加階をなる。人をおほくころしたるばかりにて、官位をならんには、三条殿の井こそおほくの人をころしたれ。など其井には官をなされぬぞ。」とぞわらはれける。