平治物語 - 03 三条殿へ発向付けたり信西の宿所焼き払ふ事

 信頼やがて、此人々をよびて、頼むべきよしのたまへば、「一門の中の大将、すでにしたがひ奉るうへは、左右にあたはず。」とてかへりければ、大によろこんで、同九日の夜子刻ばかりに、信頼卿、左馬頭義朝を大将として、其勢五百余騎、院の御所三条殿へをしよせ、四方の門々をうちかため、右衛門督乗ながら、南庭にう(っ)た(っ)て、「年来御いとおしみをかうぶりつるに、信西が讒によ(っ)て、信頼うたれまいらすべき由承候間、しばしの命たすからんために、東国のかたへこそまかり下り候へ。」と申せば、上皇大きにおどろかせ給ひて、「なにものが信頼をばうしなふべか(ん)なるぞ。」とて、あきれさせ給へば、伏見源中納言師仲卿、御車をさしよせ、いそぎめさるべきよし申されければ、「早火をかけよ。」と声々にぞ申ける。 上皇あはてゝ御車にめさるれば、御妹の上西門院も、一つ御所にわたらせ給ひけるが、同御車にぞ奉りける。信頼・義朝・光泰・光基・季実等、前後左右にうちかこみて、大内へ入まいらせ、一品御書所にをしこめたてまつる。やがて佐渡式部大夫重成・周防判官季実、ちかく候じて君をば守護し奉る。さても此重成は、保元の乱の時も、讃岐院の仁和寺の寛遍法務が坊にわたらせ給ひしを、守護し奉て、讃州へ御配流ありし時も、鳥羽までまいりし者なり。いかなるゆへにや、二代の君を守護しまいらすらんと、人々申あへり。 三条殿のありさま申もをろか也。門々をば兵どもかためたるに、所々に火あげたり。猛火虚空にみちて、暴風煙雲をあぐ。公卿殿上人、つぼねの女房たちにいたるまで、是も信西が一族にてやあるらんとて、射ふせきりころせば、火にやけじといづれば矢にあたり、矢にあたらじとかへれば火にやけ、箭におそれ、火をはゞかるたぐひは、井にこそおほくとびいりけれ。それもしばらくの事にて、下なるは水におぼれ、中なるはともにをされて死し、うへは火にこそやけけれ。つくりかさねたる殿舎の、はげしき風にふきたてられて、灰燼地にほどばしりければ、いかなる物かたすかるべき。彼阿房の炎上には、后妃采女の身をほろぼす事なかりしに、此仙洞の回禄には、月卿雲客の命をおとすこそあさましけれ。左兵衛尉大江家仲・右衛門尉平康忠、こゝを最期とふせぎたゝかひけるが、つゐにうたれてければ、家仲・康忠両人が首をほこのさきにつらぬき、大内へはせまいり、待賢門にさしあげて、おめきさけびたる外は、しいだしたる事ぞなき。 同丑刻に信西が宿所、姉小路西洞院へをしよせて、火をかけたれば、女わらはべのあはてゝまよひ出けるをも、信西がすがたをかへてやにぐらんとて、おほくの者をきりふせけり。 保元の乱已後は、理世安楽にして、都鄙とざしをわすれ、歓娯遊宴して、上下屋をならべしに、火災の余煙に民屋おほくほろびしかば、こはいかに成ぬる世の中ぞ、此二三年は、洛中殊更しづかにして、甲冑をよろひ、弓箭を帯する者もなかりしかば、たま<もちありく人も、はゞかりなる体にこそありしに、今は兵ども京白河にみちみてり、行末いかゞあるべきと、なげかぬ人もなかりけり。